ウチの1日の流れ(現在)
介護録を書き始める前に、現在の母を取り巻く家族の1日のスケジュールを
簡単にまとめると…
母の1日の流れは
7:00 起床
8:00 食事&薬
9:00 着換え
10:00 デイケア
17:30 帰宅
18:00 夕食
19:30 睡眠
となっている。
私は仕事柄、夜中の3:00頃から仕事をして、
18:00過ぎに帰宅する。
たまに17:00頃帰って来る事もあるので、その時は母の食事の準備をするのが精一杯だ。
母の介護は基本的に親父が1人でやっている。
着換え,食事介助,排泄処理,その他母の身のまわりの世話全てだ。
私は書類を書いたり、施設やケアマネさんとの打ち合わせ等の手続き上の事を任されている。
そのお陰で、主夫の私は子育てに専念出来る。
ありがたい事だ。
実際に今の流れが1番スムーズだ。
突発的な事がなければだが…
良くも悪くも母の症状は進み過ぎている。
母にとっては不自由で辛いだろうが、介護をする側としてはとてもやりやすい。
親父のお陰であの凄まじい日々を乗り越えたのだ。
アルツハイマーの家族は、発症から要介護3か4くらいまでが大変だ。
本人としても要介護2くらいまでは、精神的にズタボロになっていると思う。
奇声,暴力,徘徊,破壊,怪我…
様々な出来事を親父を中心にして乗り越えてきた。
いくら『病気』と理解はしてても湧き出る怒りや、悲しみはどこにもぶつける事が出来ない不条理なものだった。
これから、この『認知症介護録』の中でそういった事実を少しづつ紹介していきたい。
少しでも見ている人の参考になれば幸いだ。
家族,施設,行政が一体とならなければ今の病気は支えられないだろう。
辛い介護であっても役割分担さえしっかりすれば、きっと楽になるはずだ。
だまし討ち
私達家族にとって母の治療が遅れた怨むべき出来事だ。
本人からすれば母を思っての親切心。
私達家族からすれば、身勝手過ぎる大きなお世話。
結果、母の診察は2年遅れる事となった。
話は平成16年まで遡る。
大きな倉庫で流れ作業のパートをしていた母の異変を察したのは同じ仕事仲間だったかもしれない。
きっと、単純作業でありえない様なミスを何回かしたのだろう。
更に母のテンパる癖が出てしまったのではと推測する。
近所のオバさん連中がほぼ働いていた田舎のマンモス工場で母の悪い噂が広まったのは、そう時間はかからなかったはずだ。
その工場は私が小学生の頃に出来た。
そして、ほぼ近所のオバちゃん達がオープニングスタッフとして雇用された。
その為、『○○さんの息子さんは○○高校に行った』とか
『○○さんの娘さんは出来ちゃった結婚した』とか、
田舎ならではの噂好きのオバさん達は他人の出来事に色んな尾ヒレをつけながらも、
その町近辺のプライベートな事は、ほぼ筒抜け状態にあった。
実際、私もよく母に『○○さんの息子さんは○○高校に合格したみたいよ。アンタも遊ばんで勉強せんね!』とよく怒られたものだ。
更にオバさんの集団特性として、もう1つ忘れてならないのがご存知『派閥』だ。
直接的な抗争は無いにしろ、気に入らないグループのミスや子供の不祥事絡みの話などをエサに会話は膨らむ。
また厄介なのが、子供の学業レベルが親の評価に繋がる事だ。
そんな中、母の異変が噂にならない訳がない。
そこで1人の勇者が立ち上がったのだ!
己の自己満足と歪んだ正義感を振りかざして…
その偽りの勇者は母に『健康診断に行こう!』と言って連れて行ったのが『精神科』
受診する訳がない。母はその場で腹を立てて帰って来た。
正に、だまし討ち。見事なくらいのだまし討ち。
クソみたいな偽善者。ありがた迷惑。
あくまで私の想像だが、
母自身が1番悩んでたはずだ。流れ作業でのミス。
なぜ止めてしまったのか理解できていただろうか?
テンパって余計に思考回路が停止してしまってたのではないだろうか?
自分のミスでラインが止まり
他の作業員からの痛い視線やバッシング。
幾分かの不安を抱え、プライド高い母の性格から誰にも相談できなかったに違いない。
もちろん家族にさえも…
尾ヒレの付いた噂だけが進行する中、『私がなんとかしなきゃ!』と偽善者登場!
作戦失敗…
作戦失敗…じゃねえよ!
その出来事以来、母はパートを辞めた。
その勇者面した偽善者は母にとって結構な友達だったに違いない。
そんな友達からダマされたのだ!
健康診断と偽り、精神科に連れて行かされ
どんなに傷付いただろう…
本当に勝手な事をしてくれた。
その人は何故、私たち家族に相談してくれなかったのか。
母を想い、勇気を出して行動してくれた事には感謝するが、本当に一言欲しかった…
それを機に母は塞ぎ込んでしまった。
更に病院に行くのを拒み続け、どんどん病気は進行していった。
2年後、やっと精神科を受診した時には既に要介護は『2』のレベルまで進んでおり
病院の先生から『なぜこんな状態になるまで受診しなかったのか』とお叱りを受けた。
その時、だまし討ちのせいにして母をもっと早く受診させるアイデアがなぜ浮かばなかったのかと自分自身が情けなくて悔しかった。